Spritual Anatomy®によるスピリチュアルと心理学のセミナー・ワークショップ

今日は、亡くなった人の気持ちになりました。

 

いきなりですみません。

ブログの更新をかなりしていませんでした!

最近、いろいろなところで物書きばかりしていて、

なんとなく私の中ではブログを書いている気持ちになっていますが、

気付けば全く更新をしていませんでした!

 

皆さん、今日もお付き合いよろしくお願いします♬

今日はセッションで、感謝されることが2度もあり、

とっても嬉しかったです。

 

個人セッションを閉鎖させていただいて

いるため、最近はなかなか皆さんと実際にお話

する機会もないままでした。

黙々と自分の世界をパソコンに向かって、

書いては消しを繰り返していると、

何と言いますか、自分とずっと話しているだけなので

つまんないんですよね。

 

そんな日々が続いてしまった中、

今日は久しぶりにセッションに関する素敵なコメントが

届き、素直にとても嬉しい気持ちになりました。

人が喜んでくれて、本当の意味で楽になってくれると、

本当に嬉しいですね。

 

 

さてさて、本日はセッション中に、

亡くなった人の

気持ちをはっきりと体感しました。

これが皆さんに何となくでも届くと良いなと

思ってブログを書いています。

私にとってもとてもありがたい体感でした。

 

私がセッションで一番好きな事は、

実際にその人を体験出来ることです。

悲しい事も、悔しい事も、嬉しい事も。

それが亡くなった方でも。

以前、私のお婆ちゃんが私の髪をポニーテールに結んで、

何も言わないで去っていった事がありましたが、

その時、私は私でありながらお婆ちゃんでもあるために、

お婆ちゃんの私への熱い愛をダイレクトに受け取る事が

出来て感動して、癒された事がありました。

 

これは宇宙人が入ってくるときも

まったく同じです。

私は私であって宇宙人を感じているのは私なのですが、

その時は同時に宇宙人そのものなのです。

だからダイレクトに宇宙人の考えや感覚を

感じる事ができ、そこからいろいろな事を学ぶ事ができます。

 

さて、私もきっと輪廻転生を繰り返しているのだと

思いますが、亡くなったときの記憶はありません。

 

だから亡くなったらどうなるのかわからないんです。

でも今日は亡くなったら感じる事をクライアントさんの

亡くなったお婆さんを通して強く身体で感じさせてもらいました。

 

すごく納得できるし、これって私達が知っている感覚なんですね。

でもこの感覚、普段なんとなく生きていると忘れてしまっている

当たり前の感覚なのです。

その感覚とは、

「生きるって楽しい」

という事。

私が見たそのお婆さまはとても苦労が耐えない生涯をお過ごしに

なられた方のようでした。

(その人になった時、私の体感はその人そのもので、

頭の中に映画のスクリーンのようなものが

飛び出して来て私はその映像を他人事のように見ています。)

ですが、何度も繰り返し届く言葉、

生きるって楽しい、

つらい時も、悲しいときも、もう無理だって思うときも、

生きてるから感じられるんだ。

と言うのです。

これ、言われるだけだと、

あー、そう、はいはい、わかってますってば。

死んだら何も感じられないものねー。

と人ごとのように聞き流してしまうかもしれませんが、

その方の亡くなられてからの感覚があるんですよね。

だからとっても説得力があるというか、

感動してしまいました。

 

しみじみ、

そうだよな、

ほんとだ、生きているって凄いわ。

と実感してしまいました。

 

 

どんなに苦しい事も、

いや、これはもう駄だわっとお手上げしてしまうような

出来事も、生きているという事は経験している人がいるわけです。

でも死んでしまったら、経験する人(私と思っている人)

がそこにはもういないので、

人生は無いんですよね。

 

人生は経験する人がいて、

初めて人生なんです。

 

どんな人生でも、人生がある事が素晴しいのです。

苦しい人生でもです。

無いよりはある方が素晴しいのです。

それをあなたが経験が出来ているという事だから。

こんな経験ならしないほうがいい!そう思う方も

少なくは無いかもしれません。

でも私の今日の経験では、

それでも出来ないよりは、全ての経験が感動なのです。

 

あと、そのお婆さんがやりたかったけれど、

出来なかった事をお婆さんは映像の中でたくさんやりました。

先祖のカルマを癒す時には、

よくこのワークになります。

そのご先祖様が悔いの無いようにやりたいようにやって

記憶を変えてしまうというものです。

記憶は記憶でしかありませんから自由に塗り替える事ができます。

 

一つは遊園地に行って、コーヒーカップに何回も

乗ることでした。小さい子どもみたいにはしゃいで、

お婆さんなかなか乗り物からおりて来なくて、

ちょっと心配になるくらいでしたが。

後からその事を本人にお話したら、

お婆さんは生まれつき心臓が弱く、激しい乗り物には乗れなかった

と伝えられて、あの映像の理由がよくわかりました。

 

あと少し面白かったのですが、

私のSAのワークを受けてみたいと言ってくれたお婆さんなのですが、目の前にイスを持て来て、どんと座って

はいやって!って言うもんだからあわててやりました。

 

暑い夏に扇風機にでも当たるようなノリで、

いや〜、これいいねー。

気持ちがいいわー。

最近は技術が発達していいのがあるんやねー

私が生きていた頃はこんな便利なのはなかったよ〜。

と褒められたりもして、

私も嬉しくも複雑な気持ちになったりしました。

 

きっと肉体が亡くなった魂からすると

SAのワークなんて風に当たるくらい軽い事なんでしょうね〜。

人生そのものが素晴しいという事なんです、きっと。

ワークを受ける事も、夕食を食べて美味しいって感じる事も、

全部同じなんです。

これが素晴しくてこれは素晴しくないという境目や違いがないんです。

 

 

生きるって楽しい。

出来事や状況も全て生きてる証。

生きていなければ何も始まらないし、終わりも無い。

何も無いんです。

人生っていいね!

お婆ちゃん、ありがとう〜。